2011年10月11日火曜日

7ヶ月

今日は7月11日です。

3.11から早くも


7ヶ月。


今でも被災地の方々のコトを考えると胸が詰まります。


自分の住む種子島にいると
地震のコト、原発のコト、放射能のコト
ニュース、ラジオでは見たり聴いたりしても


まだまだ被災された方々、東北、関東地方の方々から比べれば


現状を把握出来ていない思いがあり


先日

母親の祖父母の眠る

岩手へ

挨拶を済ませてから被災地の方へ



電車で釜石へ






車中からは山積みになった瓦礫。
ざっと見ただけでも何百トンもありそうな程
積み上げられてました。


駅から釜石港の方へ
移動すると



地盤沈下、満潮での高潮で港へ海水が上がってました

その海水は街にも流れ始めていく所でした。

ここの港の前にあるホテルのオーナー夫婦は津波で亡くなったそうです。


自分の携帯の充電はここで終わり写真はココから先ありません。



ただ

この日の

光景は


自分の目にしっかり焼き付いてます

街、港から瓦礫の撤去はされても
ちょっと離れた所に置き場があり車は今でも街中に山積みされており

倒壊された家、津波で流された家、骨組みだけ残った家、建物の基礎だけが残っている

信号は未だ止まったまま、警察の方が誘導していました

自衛隊の方々も9月いっぱいで撤退した様で現地に来られているボランティアの方々がお手伝いしている様です

ですが

まだまだ復興の兆しすら見えてませんでしたが

残された人々は今でも必死に生活しています


釜石駅や至る所に応援メッセージも見かけました



本当に


目に入る全てのものに衝撃を受けました。



国、行政は金が無いから動かない、方針が出来ていない

と近くにいた方は話してくれました。



自分も次回、被災地行く時はボランティア活動しようと思います




”大金”



が無くても出来るコトもいっぱいあるだろうし人手もまだまだ足りてない。



全ての人々が被災地へ向けて
行動し続ければ復興の道のりは決して長くはないと思います。


なぜなら


同じ自分達の住むココ

日本なのだから


Special Riquest by PAPA U-Gee






HOPE & PRAY